甲州名物『信玄ほうとう』の生麺。
老舗の名品をお届けします。
伝統の味!老舗こだわりの逸品。
山梨県を代表する郷土料理『ほうとう』の生麺です。 創業大正八年の老舗が、その歴史と経験によって積み重ねた技術と、吟味された小麦粉と水、そして歴史に裏打ちされた伝統の製法でつくられるこだわりの逸品。 地元山梨で愛され続ける、手作りの味をお楽しみ下さい。
【作り方】
◎材料:豚バラ、田舎味噌、にんじん、白菜、しめじ、かぼちゃ、ネギ、さといも、などお好みで
・沸騰した湯にだしを入れる。(市販のだしや、煮干しなど)
・野菜・肉を一口大に切って煮込む。
・味噌(田舎味噌)を入れる。(別売りのスープを使う場合は、味噌のかわりに入れてください)
・麺を加えて煮込む。
基本的には味噌汁に野菜と麺が入るようなイメージです。お店で食べるほうとうは、カボチャを最初から煮込まずに、あとで入れて煮崩れしないようにしていますが、地元ではカボチャが煮崩れて、カボチャスープのような汁で食べてこそ「ほうとう」というイメージもあります。ぜひ、ほどほどに煮崩れて、カボチャ色になったスープでお召し上がりください。
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甲州名物ほうとう
『ほうとう』とは?
ほうとうは、山梨県(甲斐国)を中心とした地域で作られる郷土料理。 基本的には、小麦粉を練った平打ちの麺を野菜を主体として 味噌仕立ての汁で煮込んだ麺料理の一種である。
しかし、使われる穀物は小麦粉に限らず、また形状も麺に限らない。 他地域からはほうとうについて「うどんの一種」と見られることもあるが、 地元の山梨県では、ほうとうはうどんとは同一のものと認識されていない。
一説には「ほうとう」は「すいとん」の一種とも考えられており、 これが「うどんではない」と捉えられる原因と思われる。
実際、よく見られる麺状に伸して入れる「のしいれ」以外に、 すいとん的な小塊の状態で供される例が今も稀に見られ、 地元民の意識ではこれも「ほうとう」のカテゴリーに含めて扱われている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ほうとうの起源
ほうとう文化の分布
山梨県(甲斐国)では近世に養蚕の普及による桑畑化で田地が集約され、 裏作での麦の栽培が一般的となったことから、 おねりやおやきなど粉食料理の体系が発達した。 ほうとうもそのなかに位置付けられる。
一説には山梨県内でも特に寒冷でかつ火山礫の多い郡内地方で 起こったともいわれるが、隣接する長野県や静岡県、 埼玉県から群馬県に至る、山梨県同様に近代に養蚕業が発達し、 食料消費調査において麺食比の高い地域には類似の郷土食が多く存在している。 それらに「ほうとう」の呼称が使われていることも多い。
例えば北関東でも比較的山梨県寄りである群馬県および 埼玉県内には類似した醤油味の煮込み麺料理「おっきりこみ」「煮ぼうとう」があり、 この地域において広範な平打ち麺文化が形成されていると言える。
広範な地域に及ぶほうとう文化をさらに活性化させるため、 埼玉県深谷市では2004年から「ほうとう」と群馬の「おっきりこみ」、 深谷の「煮ぼうとう」、秩父の「ほうとう」の味対決イベントが行われている。
「信玄起源説」と、観光食としてのほうとう
「ほうとう」については武田信玄に由来する食物とする俗説が広く流布している。
戦後の産業構造の変化に伴い、観光産業が山梨県の主要産業となると、 戦国期の甲斐国主である武田信玄が、郷土の象徴的歴史人物として 観光振興に利用されるようになった。
このため、他の物産と同じく伝統的日常食であるほうとうも 「信玄の陣中食」と称され、観光食としてのアピールを目的として、 いくつかのバリエーションのある信玄起源説が喧伝されるに至った。
現在、ほうとうは観光地を中心に山梨県内各地の飲食店で広く供されている。 ここから更に極端な説になると、「武田信玄の陣中食だったほうとうが、 武田家滅亡後に徳川家に召し抱えられた武田家遺臣によって徳川家に伝えられ、 名古屋の味噌煮込みうどんの起源となった」などとも言われるが、 信頼に値するかは疑わしい。